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絵を読む、文を観る

ずっとデザイン=機能のあるものを作っていたので、まったく機能のないものを描く事がまたもや新鮮で、絵を描くモチベーションになってきている。 イラスト仕事をさせてもらっていて、それはある作詞家の方の作品であることばに絵を添えるという事をやっているのだけど、ある時ふと、目の前の白紙に何も考えずに線を描いた。 ずっと具体的な人やものなどを描いてきたので、何の意味も無い抽象的なものを描こうとすると案外すっと描けない。 実際は大学で抽象画を学んでいたので手練で描けない事はないのだけど、大学時代と違って描く前になにか抵抗というか、引っかかりがある。 それは個人的なとても小さな変化で、紙に筆やペンを置く直前にほんの一瞬感じる心のひっかかりといったようなもので、説明するのは難しい。 長年デザインの世界でほそぼそと絵作りをしてきて、それは常に意味があったり機能があった。 そんな私が今、ふと描く「何も語らない、何の比喩でもない何か」は、アカデミックな場所で現代美術にかぶれて尊大になっていた当時の私が描く「何も語らない何か」とは全く違っている。それはとてもぎこちなく、でもとても存在感がある。 なにかこう、不思議だ! ところでことばに絵を添えるというのは本当に面白い作業だ。 言葉で説明できないなにかがあるのが絵といえるが、言葉の中には言葉しかないのではなく、言葉以上のもの、絵的なもの、イメージが立ち現れる。 悪い意味で言葉で言い換えられてしまう絵もある。 絵と言葉は、お互いが補完し合うのでなく、どちらもイメージと言葉、両方を孕んでいて、その呼応が更にそこに無いイメージや言葉を生み出す(ような結果を作り出したいがとてもとても難しい…)。 河出文藝選書「闇の中の黒い馬」埴谷雄高著の、イメージと言葉のありかたが私には面白くて、ぼんやりしてしまうときに読むとぴりっとする。 著者の言葉と駒井哲郎の手による挿絵が醸し出す絶妙な距離感がいいし、埴谷さん自身が自分が見た夢といったような言葉にするのが難しいものを、ねじ伏せるようにしつこく描写してこれでもかと言葉を連ねるのがまた面白いのだ。 夢という映像や絵を言葉で執拗に表していく。そんな文章に添えられた絵はそこに描かれた言葉に別の風景を投げかける。  (全部読んでないのでこの辺にしとこう。)