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「主戦場」のフェアネス

とりあえずまず言いたいのは、この映画がなかったら、今まであまりに醜悪で我慢ならんという理由で対峙することから逃げてきた「“いわゆる”歴史修正主義者」の言説を、ここまで丹念に聞くことは一生なかったろうということ。  #主戦場 冒頭からたっぷりと映し出される「“いわゆる”歴史修正主義者」の自説には、映画館の暗闇で何度声を出して罵りそうになったかわからない。この映画の登場人物たちが今、名誉毀損の抗議と上映差し止め請求をしているが、これはこれで映画の続きのような滑稽さだ。 「“いわゆる”歴史修正主義者」と書いたのは、この映画の中で、歴史修正主義者という言葉に監督がナレーションで丁寧に「いわゆる」をつけていたからだ。冗談みたいだけどこれは十分意味がある語り口だとわたしは思った。なぜならこの表現はこの映画のフェアネスの一部だとわかるからだ。 映画「主戦場」は、一方的に彼らを歴史修正主義者だと断罪することを目的としてはいなかった。ツイッターでは彼らを歴史修正主義者だと表現して終わり、が日常的かもしれない。でもこの映画は彼らの意見を演出せず表情とともにたっぷりと映した後、その反証材料を端的に示していただけ。その二つを見て鑑賞者は彼らがどういう人間か判断するだろう。私は彼らが歴史修正主義者そのものだなと確信したが、それはあの映画が煽ったからではない。反証をしていて、それに納得したからだ。両論併記という及び腰ではなく、指摘すべきを指摘していると思ったからだ。映画は判断を、見てる人らに冷静に委ねていた。レッテルを貼る場があるとしたら、その場でレッテルを貼るのは、貼らざるを得なくなるのは見ている私たちだし、あの映画は精一杯公平にその場を提供していたと思う。 公平だと思う理由をさらに言い換えるとすると、彼らは本当にたっぷりと自説の「正しい歴史」を嬉々として語っていて、映画はそれを音楽やカット割りで演出せずありのままにみせていた(ゴーセンみたいに著者の意に反する人間をより醜く書いたり孤立した描写にしたりするような演出はない)ので、鑑賞者は私のような判断とは逆の、好意的な受け止めをする可能性すら開かれているという点だ。彼らのシンパがあの映画を、自分たちの意見を広めてくれて感謝したいと評価する可能性すらあると思うのだ。 パンフレットには「『慰安婦問題』...

俳優の死

(しれっと久しぶりに書く) 割と好きだった俳優が若くしてなくなった(享年40)。 そのなくなりかたは非常に腹立たしくとても冥福を祈るどころではなかった。 彼の演技はとてもストイックだった。風貌も派手ではなく、すっと風景に溶け込んでしまうようなところがある。ただただいつもその時にその作品のなかの人生として存在しているように見える俳優だった。 彼はよく、善悪の両方を併せ持つ、あるいはそのどちらの人間なのか見ている方もその役の登場人物もわかっていない、そんな微妙な人物を演じていた。彼自身がそういう役を選んでいたのか、周りが自然と彼にそういう役を求めたのかはわからない。 俳優として死んでしまった彼のことを思い出しているうちに悲しいことだがやはりもう一度作品を見たくなった。以前から見ようと思って機会を逃していた映画を一本。そしておそらく代表作でもなんでもないが、彼を気に入ったきっかけになったドラマの1話分。 その映画は初めて見たのだが、珍しく主役であった。日本の田舎が舞台で、警官という仕事につきながら相変わらず単純に正義や誠実さを持つ人間ではない役。物語が進むにつれ少しずつ警官の制服が似合わなくなっていく。 やがて愛のないセックスのシーンが始まった。そのシーンをぼんやり見ながら、彼を見ている自分の中の変化に気づかずにはおれなかった。彼の俳優としての死にまつわる話は書きたくはないのだが、性暴力に関係している。 作品と個人のプライベートは別だ、ということはできる。しかし果たしで別にできるものなのだろうか。 このシーンが終わる頃、わたしはついに本当に好きな俳優をなくしたのだと悟った。もう二度と彼を見ることはできない。今までのようには。 覆水盆に返らず、は心のありようにもあきらかに起こる。 彼の死を知った時以上に、このシーンを見たことが彼の死を決定づけた。 単純に悲しむこともできず、なにか乾いた気持ちのまま、好きだったドラマの1話を見始める。 彼は警察の生活安全課で真面目に働いている。 スーツ姿でリュックを背負い、ペンとノートを持ち、所轄の街を歩く。 切れた街灯をチェックし、ピンクチラシを剥がし集め、壁の落書きを家主に注意する。 商店街からも重宝されるいい警官なのだがやはりどこかしっくりこない。一人暮らしの部屋の壁に大きく張り出されたcr...

映画見た:想田和弘監督「選挙」

想田和弘監督「選挙」観に行ってきた。なるほど、選挙って立候補って選対ってこういう風に動いてるのか…とかいろいろ腑に落ちました。「選挙2」が早く観たい。参院選前に公開してもらえてすごくありがたい。選挙なんかシラネという人達がうっかり観にいくといいとおもう。 「 選挙 」  イメージフォーラム(渋谷) で7月5日まで特別上映  「 選挙2 」 映画は全編、「山内和彦でございます!よろしくお願いします!」の声で埋め尽くされ山あり谷ありのストーリーは無いに等しい。新聞記者に、政策について尋ねられると言葉に詰まるのだから本当に中身が無い。当選するため彼がしている事は政策を練ったり公約を人々に訴えるのではなく、名前を3秒に1回叫ぶ事。所属与党の先生に怒られないようにすること。妻が女性蔑視にあってもひたすらなだめる。頭をさげるさげる、ひたすらそれだけの映画です。だから実はとても退屈。でもこの退屈を知る事が出来てよかったと思ったし、いろんな人が知るべきだと思ったし、本当にいろいろ腑に落ちました。 つまりこの退屈そのもの、中身の無い、人脈をどうのこうのするだけの世界が、少なくともこのときの選挙のすべてだった、ということ。そりゃすべての選挙がそうではないと思いたいけど、自民党はこういう選挙の戦い方を何十年もしてきたんだろうなと想像している。この映画を見て、なぜ民主党や自民党が政権を取った後に、公約破りをして恥じないのか、よく解った気がする。 さて本当に「選挙2」が楽しみ。山内さん、まったく変わってしまった、とチラシに書いてある。結果がどうだったか敢えて調べずに見ようと思っています。

映画2つ

去年のエントリ10以下ってもうどないやの …今年もよろしくお願いします。 ーーーーーーーーーーーー 最近観た映画。 「ヤング≒アダルト」 シャーリーズ・セロンは「モンスター」の怪女役よりこっちのほうがきつかったんちゃうかな。 映画史上、こんなに素晴らしくヌーブラが使われた事がいまだかつてあったであろうか。あまりにも効果的に、あまりにも象徴的に。 間違いなく主演小道具賞。 こういうのにありがちな、最後は真実の愛に目覚める…なんてならないのが素晴らしい。 wowowで観たのだが、安西水丸氏が本気でこういう女性リアルで居たら嫌だ!て言ってたのが、なんかすんませんと思ってしまった。 「キッズ・オール・ライト」 よくある家族の問題。子供2人の夫婦、どちらかが浮気してバレて子供ともども傷つけて、許し合って、何とか再出発をして、子供は巣だって… ネットで感想を検索したら、不評も多い。曰く「つまらない、平凡なストーリ」「退屈」などなど。 確かにこの映画のストーリーはありふれている。ただひとつ違うのは、この夫婦が女性同士のカップルだって事だけ。 同性愛の女性同士の夫婦と、その女性それぞれが精子バンクで出産した子供2人。それでもこの家族に起こる問題はまったく「普通」の家族と同じ。 だからある意味、つまんない、という感想は一部的を射ているのかも。 でも、同性愛カップルの夫婦なのに、家族の問題がとてもオーソドックスってところが、この映画のすごくおもしろいところ。目から鱗が落ちるところ。 最近フランスで、「みんなのための結婚」という法律ができ、同性婚が認められたそうな。この映画を観ても思ったけど、男女のロマンの果てが結婚だ、子供を作る為の結婚だ、という考えが全てでなくなればいいな。誰しもが年老いて社会的に弱者になっていく時に孤独にならないよう、助け合える小さな社会=家庭があちこちにあれば良い。親が一人でも2人でも血がつながってなくても、子供を助け育てられる小さな社会があちこちにできやすくなればいい。家族を率いる2人の親は、同性どうしでも異性どうしでも固く結びついていればどちらでもいい。セクシャルな関係である必要すらない。 どんな夫婦でも、今までの結婚の概念で得られた社会的な権利や行政の補助が受けられますよ、というのがフランスの「みんなのための結婚」...

「希望の国」

(twitterで連投したのをまとめ、修正) 「希望の国」監督・園子温観てきた。年に1回観る事を自分に課したい。特に霞ヶ関や電事連におつとめの人達は毎月一回観て欲しい。 …といっても、原子力村の闇を暴くとか国の事故対応の瑕疵を糾弾する、という映画ではないんですよね。 「僕が記録したかったのは被災地の"情緒"や"情感"」     ~「希望の国」パンフレット、園子温監督インタヴューより 観ている間中、これは一体映画なんだろうか、現実なんだろうかとずっと動揺していた。いや、フィクションである事は頭では分かっている。キャスティングも素晴らしく、地元の人としか思えない風情ながら顔を知っている名優がたくさん出ている。しかし、それでもこれは映画なのか、と動揺してしまうような力があるのだ。フィクションなのに限りなく現実。登場人物の台詞にどきっとするたびに、同時に無数の現実の被災者の姿がはっきりと見える。家族が分断され人が傷つけ合いテレビが嘘をつくそのフィクション一つ一つに、これは本当に起こった事なんだと思い知らされる。 「なるべく想像力で書くことはやめて、取材した通りに(シーンや台詞を)入れようと思った」     ~園子温監督 映画を見終わって外に一歩踏み出したら、そこに見えるにぎやかな風景の方が現実感が無いような気さえした。 今の私は、劇中のテレビで放射能なんて気にせずド〜ンと…と言っていた主婦と変わらない、五十歩百歩だ。全ての登場人物の要素が、少しずつ自分にある。大丈夫と必死で言い聞かせるあの息子の、避難しない老人にぶち切れる若者の、いつしかマスクも手袋もしなくなって怖がる人をせせら笑う労働者の。そしてなにより、子供の被爆を死ぬほど心配して常に罪悪感を持っている母親の。 「『希望の国』は我々全員が当事者で我々全員が主人公の物語」     ~「希望の国」パンフレット、俳優 斉藤工のコメントより 従来の映画という枠で、客観的に鑑賞する以上の体験があった。美しい映画だ、素晴らしい作品だ、と感動して拍手して、さ、仕事仕事…というふうになかなかなれない。 最初に慟哭したのは夫婦の妊娠が確実と分かり2人が大喜びする所。とても幸せな場面である筈なのに2人が喜べば喜ぶほど涙が止まらなかった。過酷な現実を思うと。...

久しぶり。映画めも

今年もよろしくお願いします。 やる気はあるんです。 =============== 今年は年末年始、ひさびさに寝込んだ、風邪で。あんまり薬飲めないのでなかなかよくならなくてしんどかった。 なんとか這々の体でおせちは作ったけど掃除もできなかったしいろいろ忘れた(鏡餅やらくりきんとん)う〜ん。一年の計元旦にあるらしいし参った。 =============== 一歳の娘、気になるものを指差しまくっている。その度にそれはりんごだよ、ねこだよ、と教えることにしている。この間は新聞を「ん!ん!」と執拗に指差すので見たら大木凡人だった。眼鏡とおかっぱやけど、ママとちゃうよ。 =============== 風邪が治って、無性に映画が観たくなり、いろいろ。 「レスラー」: プロレス駄目な私でもすごく感動。プロレスファン以上に、80年代のミッキー・ロークのかっこよさ、その後の彼の落ち込みを知っている世代にはたまらなくリアルな映画で、感動してしまうこと間違いなし。 最後のシーン、エンディングが圧巻で、私は野暮ながらDVDを戻して続けて2回観てしまった。演出、カメラワークも素晴らしいと思う。冒頭から印象的なミッキーの後ろ頭と背中。マリサ・トメイ演ずるストリッパーの背中。この二つのイメージの交錯が、ある意味わかりやすぎるけれど、この映画を象徴していてすばらしいです。 「グラン・トリノ」: 今まで見たクリント・イーストウッドの映画の中では一番よかった。 野犬のようにうなるクリントの顔のしわが美しいとさえ思った。 磨き終えたビンテージ・カーをポーチでいっぱいやりながら眺めているクリントと犬の後頭部、そしてピカピカのグラン・トリノのフロント。このシーンが絵のようで好き。 「ベンジャミンバトン」は、大好きな女優ケイト・ブランシェットも、今回はミスキャストに思えてずっと居心地が悪い感じで観ていた。どうしてもバレリーナにみえないから。途中でてくるモダンバレエの振り付けもなんか微妙に変。話は山田太一「飛ぶ夢をしばらく見ない」の逆バージョンみたいなものだ。でも「飛ぶ夢を…」と違って、なんというかブラッド・ピットの特殊な年の取り方、変化の仕方がどうにもご都合主義に思えてとにかく腑に落ちなかった。 「26世紀青年」:コメディ。日本ではDVDのみ。これがなかなか面白かったよ。やっぱし私好きだわマイク・ジャッジ(...

映画「ハプニング」を補てんする会

いまさらですが映画「ハプニング」ナイト・シャマラン監督。 ↓ ↓ (以下、内容に触れますので注意。見る気のある人は見てから読んでみてね) ↓ ↓ ↓ 暇だったのでつい先日、CSのペイチャンネルで見たんですけど。 もう、びっくりした。あまりのひどさに。 そのオチに。いや、正確にはオチがないというオチに。ええええ!!うそおおおお!ってほとんど泣きそうになりました。 突如、大量の自殺がアメリカで局地的に起きるという謎が主なストーリー。 その病?に侵された人々が自死するまでには一連の流れがある。まず話し方がおかしくなり、やがて体の動きが完全に固まる。そしておもむろに後ろ向き歩きなど変な動きをし、その後その場でできる方法で突然自殺する、というもの。 それがアメリカのごく一部の地域でまるで伝染病のように発生する。いったいなぜ?科学の教師である主人公のジミー大西もといマーク・ウォールバーグととんちんかんな嫁の運命はいかに?いい感じでジャージの似合うジョン・レグイザモと彼の愛娘は果たして助かるのか?そしてこの奇妙な集団自殺の謎とは??? ひどい。ひどかった。間違いなく物心ついてから見た映画の中でワースト1。 そして向こう30年は塗り替えられることがないかもしれん。 あまりのことに、スタッフロール始まっても身を乗り出して口をあけたまま固まってしまっていたわたし、そのあと後ろ向きに歩きだし金だらいで自分の頭を殴って死ぬのかと思いました。 あまりに憤懣やるかたなく寝られなかったので布団の中で「ハプニング」の納得のいく終わり方を考えました。「ハプニングのオチを考える会」を自分の中で発足しました。 結論から言うと、なぜ集団自殺が?の問いにはこう答えましょう。 人間も自然の一部だったから。映画の中でも半ば言い訳のように弱々しく語られていたセリフ「自然現象は完全には理解できない」がやはり拠り所となります。 さて、それをどう描くか、ですが…。 全体的にはシャマラン版でいいです(何様)が、集団自殺がおさまってからをていねいに描くことにします。 マー クは科学者として何とか調べたいと考え、地元のCSIを尋ね、そこで優秀な日本人の鑑識官(六角精二)と知り合います。モルグが超満員で大混乱 (このあたりリアリティ重要)のなか、六角鑑識官はなんとか検死を重ね、遺伝子のわずかな共通点と、死亡時の湿度との因果関係...

いよいよ

胎動がおそろしくエイリアンでこわい。 ぐぬー、ぐにょー、もっこー…って感じ。 あと、ぶるるるっ!とかもあるのだが、なんだろう?おしっこのあとの震え?くしゃみ? 夜中にそっと手をおいていたら、丸くかたいげんこつのようなおでこのようなものに お腹の肉ごしに触れてぞくっとしました。グータッチかな。 原監督に似てたらどうしよう。 早くも、いつ生まれてもいい週に突入。おーこわ。 ------------------------------------- おーこわ、で思い出したけどガリガリガリクソンの昭和なおしゃべりが私は好き。 ずっとおじいちゃんおばあちゃんと住んでたんかな。 ひょうたん犬は彼を適当に応援しています。髪型はマッシュルームにしたほうがいいと思うよ。 -------------------------------------- それにしても「○○(企業名)はオリンピックを応援しています」みたいなコピー、「はぁ?それがなに?」ってとげとげしく思うことがある。 「ゴーストワールド」って映画のDVDを買おうかなって思ってジャケット見たら「雑誌○○がセレクト!」みたいなステッカーが貼ってあって買うのがいやになったことがある。 自分で選んでいいと思ったのに、そのこじゃれたステッカーが「この映画はワイらが推薦しているんやで。わいらの手柄やで。」みたいな感じで、うるさいわいと思った。 おんなじことは本の帯とかでも言える。 -------------------------------------- あの映画に何度かでてくる、「道に落ちているジーンズ」のエピソードが何ともいえず好きだ。 今ではすっかり主役級の女優だけど、この時のスカーレット・ヨハンソンの脇役ぶりが子気味よかったんよね。 ロスト・イン・トランスレーションは、ぼけーっとみてたら、しゃぶしゃぶを前に、ヨハンソンとビル・マーレイが何ともとぼけた顔でなんじゃこりゃ食べ物か?、みたいに失笑するシーンがあって、それを見てなぜかすごく腹が立ってしまった。スカしてないで、食え!ぐらい。それでそのあと寝てしまって最後まで見ていないので本当はいい映画だったのかもしれない。 ---------------------------------------- 矢野顕子新作「akiko」聴く。 私は彼女の作品の中では、近年まれに見る傑作・意欲...

最近のつれづれ

大都会東京の花の銀座のお店の人にむかって、 「 プラッチック ですか?」って言ってしまった。 大阪でも使ったことないのにーーー。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「バガボンド」19巻を間違って2回買ってしまったとき、私の中でなにかが終わった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「越境者・松田優作」松田美智子著、読了。呆然となる。あらためて彼の死が本当に惜しまれる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 新銀行東京のことを考えるとほんとうにはらわたが煮えくりかえって寿命が縮まりそうだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 電気グルーブ 「モノノケダンス」PV のラストに衝撃を受ける。 現代思想の人が小一時間語れるほどのオチだ。(たぶん) ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 町山智浩さん によると、ジョージ・A・ロメロのゾンビシリーズは、60年代の第一作から今年公開される最新作に至るまで、常に、その時代時代におけるアメリカの社会問題のメタファーになっているそうだ。監督が実は非常に社会派な人で、自身がそう解説しているらしい。 たとえば'78年の「ドーン・オブ・ザ・デッド」は、その時代に発明され次々と生まれた大型ショッピングモールにより、消費文化にどっぷりつかって思考停止に陥ってしまった人々への警告だというのだ。 昔ながらの個人商店は仕事を奪われ、地域の人々はやること(仕事)がなくなる。地元の客も買い物をしながら交流することもないから静かになる。商店街はシャッターだらけの廃墟と化し、暇になった人々は休みになると目的もないのにただただモールをうろつく。その様子がゾンビの暗喩になっているらしい。モールに行けば衣食住のあらゆるモノがそろうので、人々は欲望の赴くまま、何も考えずにそこへ歩くのだ。 メジャー資本による大型商業施設は地方色をどんどんと消していき、その地元ならではのものは消え、町は均質化されていく。まるでじわじわと、ウィルスのように地方を侵食していく。やがてどこへいっても同じような風景がたちあらわれる。「ドーン・オブ・ザ・デッド」はそんな未来への警鐘だったらしい。 もちろん、こんな理屈を考えないで見たほうが面白いわけですが。 私は町山さんのポッドキャストを通してこの話を2回聞いたが、このお話自体が何度聞いても面白い。同時にとても耳が痛い。 そして、「再開発」に...

田舎映画2題

と、そのまえに、 世界柔道、鈴木選手のは納得いかんね。 技がなくても場外でも、引っかけでも、フェイントでも とにかく最後に背中をつかせたほうが勝ちっていうのが「国際ルール」なんですかね。 いつから?ぜんぜん知らんかった。 柔道ではない「JUDO」なのだ、とかまことしやかに言われてますけど、 どうみても「柔道が普通に劣化したもの」にしか見えない結果でした。 =================== 「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」「天然コケッコー」立てつづけに観た。 偶然にも、どちらも日本の田舎が舞台の映画です。 「天然コケッコー」は、くらもちふさこの原作漫画がとても良いのです~。 この方と山岸涼子、今でもちぇけらしている唯一の少女マンガ家なんです。 話の筋自体は、なんにもない。ハリウッド映画みたいにわかりやすく盛り上がりやすい起承転結やどんでん返しもない。 田舎万歳、とか青春ていいよね、みたいなメッセージの押し付けも一切ない。 中学2年生の女の子を中心に、田舎の分校で過ごす子供たちを、その家族を、その風景とともに、彼女の心の動きをただただ描いているという感じ。 説明くさいせりふや音楽も一切排し、登場人物の表情とつぶやきと、そのとき彼や彼女が見ていたであろう風景をすっと挟み込んで小さなエピソードをつないでいく。 おお泣きも大笑いもしないけど見終わったあともしばらくジンジン来るようないい映画でした。 原作自体、よくもまあこんなに微妙な心のあやを描けるなあ…と感心してしまうものなんですが、 映画がそれをそのまま本当にうまく映像にしていたのには本当にびっくりしました。 音楽も、よくぞ選んでくれました、レイ・ハラカミ!って思いました。 くるりの主題歌もむちゃくちゃあってる。 普通、好きな漫画の映画化って見に行くのひるむねんけどね。 キャスティングがなかなかぴったりで、とくに、郵便局員のシゲちゃん(根拠もなく自信に満ち溢れている絶妙な性格の登場人物)がそのまんまでびっくりしたな。 てか、シゲちゃんの顔を公式webで見てすぐに、映画館に行こうと決めました。 脚本の渡辺あやさんもくらもちさんの熱烈なファンだというのが良くわかります。 こんなに大事に愛されていい映画になって、原作の漫画も幸せだなあ。 マーケティングやら政治的な理由やらで破壊される作品 も多々ある世の中だというのに、ね...