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10月, 2008の投稿を表示しています

秋風

そう、お察しの通り、もう、「あのこと」を熱くここで語るのはやめようと思っているのです。 私がここで「あのこと」についてあほみたいに熱く書けば必ず翌日から「あの方たち」が調子が悪くなられるんです。 去年の今頃もそうでした。今年もそうです。 だから、あの、白い球を木の棒で打ったり走ったり滑り込んだり革のでかい手袋でその白い球を投げたりする「あのこと」に関して、しばらく一切触れず、心の旅に出ることにします。 実際ここ1週間はろくに情報も集めませんでした。ずっと「安楽椅子探偵7」の推理に逃避していました。 犯人は運転手だと思うのだけど、400字以内に華麗にまとめることができませんでした。

美術館はしご

先週(だったっけ)、秋の長雨の合間を縫って上野へ、フェルメールとヴィルヘルム・ハンマースホイ展をはしごした。 長時間並ぶことになるようだったらやんぺ、と思ってだらだら金曜の夕方に行ったら、夜8時まで開館なことがまだ周知されていないのか、とても空いていた。 フェルメールの展示部屋だけ人が多かったけど、それなりにじっくり見られてよかった。 宗教画が2枚あったけど、やっぱり風俗画がいいですね。 「ワイングラスを持つ娘」はちょっと怖い絵だな。 帰りに図録買おうと思ったら1階では買えなかった。あかん仕組み。 それにしても毎度思うのは、こういう古典作品がTシャツやマグカップにプリントされていることの不思議。 べつにそれに文句はないけど、フェルメールが見たらどう思うかなとか想像するとおかしい。その場でバク転するほどびっくりするだろうな。 時間に余裕があったので、ハンマースホイ展へ。 これがなかなかよかった。 静かな部屋の、静かな後ろ姿という主題が美しく、不思議な空気感に満ちている。とても写真を思わせる絵だなあと思ったら実際写真をもとに描いているものが多いらしい。それを知ってみると、ちょっとだけ興がそがれた。ちょっとだけだけど。 妻や妹などの女性が後ろ姿で多く描かれているのだが、その髪の量感や白いうなじ、黒くゆるやかな背中などの対比に、正面向きよりも多くの表情を読み取ろうと絵の中に入り込まされてしまった。 同じ部屋の、わずかな光の違いをひたすら描いているような作品もあり、自然の壮大な美しさとは全く違う、身近な時間や空間への興味がうかがえて面白い。 あくまで色は少なくストイックで、光と影の微妙な美しさが静謐さを画面に与えている。このアプローチがとても写真的だと感じる。 ハンマースホイの数々の部屋の作品から、彼の住んでいた部屋を3D再現したCGも展示されていた。 気持ちはすごくわかるし、手間を考えると申し訳ないけど、ぜんぜん興味がわかなかった。 ところで、映画を見ると、なんとなくその映画のイメージが乗り移ってしまうことがあるけど、この日も同じ現象があった。 フェルメールを見終わって館を出たら、たまたま倉庫のようなところから掃除の人が出てくるところに出くわした。 年配の女性が腰を曲げ、小さな部屋のぽっかり穴のように空いた暗闇を背景に、うつむいてほうきか何かを取り出している。その暗闇に映え

なんで坊や

友達が、3歳の息子さんをつれて、遊びに来てくれた。 さまざまなベビー用品を譲らんと、はるばる自家用車で来てくれたのだ。 大感謝しつつ、お昼ごはんを作って迎えた。正確には作ってる間待ってもらったんだけど。 その3歳のぼくちんは最初はひとみしりしてたけどそのうち本領発揮しだした。 私とママさんがしゃべりこんでいたら、間に入って奇声を発し、「おしゃべりやめええええ!」と号令。 自分が阻害されていると思うのか、嫉妬からなのか。 あのね、大人同士のお話もあるんです。とママさんがこんこん言い聞かせている。 そんなこんなで、私にも慣れてくれていろいろおしゃべりする。 そうすると、ことあるごとに、「なんで!」と聞いてくる。 「なんで病なんだよ、今」とママさんは苦笑する。でも私は心に決めた。全部答えると。 絶対負けないと。 ぼくちん「このDVDこわい?」私「こわくないよ!」ボク「なんで!?」 これはね、この人がお姫様で、矢を持っている人が正義の味方で、黒いひげの人が悪い悪いやつで、 最後やっつけられるから。すごいかっこいいよ(悪役のほうが)。…映画「ロビンフット」の説明。 「じゃあこれこわい?」「うわ~。それこわいよ!見ないほうがいいよ絶対!」「なんで!」 だって顔がこんなこんなで(と形態模写)、こんなぐちゃぐちゃなお化けが出てくるんだよ(ホントはおもしろいんだけど) …ゾンビ映画の説明。 といった調子だ。 (彼はとにかく映画のDVDのジャケットに夢中なのだ。テレビで流れている映画の予告編も、よく覚えていて驚いた。) それがのべ30分は続いたのではないだろうか。 口の中が渇いてきて上唇が前歯に引っかかる頃、漠然と思った。 彼は本当に答えが聞きたいわけじゃないのかもな、と。 それが証拠に、私が答えてもそれ以上突っ込まないし、あんまり聞いてないようにも見える。それよりも、もう次の「なんで」発射を準備しているかのようなのだ。 以前、内田樹氏のブログでこんなことを読んだ。小津安二郎の映画のなかの夫婦の会話が素材だったと思う。その会話の内容それ自体のたわいなさを例にあげて、人は時に、ただ相手とやりとりをしたい、コミュニケーションしているという実感を得たいから会話をするのだ、というようなことを。たとえばその時の会話はえんえん天気がいいですね、そうですね、の繰り返し。 議論とはちがって内容はどうで