投稿

2012の投稿を表示しています

「希望の国」

(twitterで連投したのをまとめ、修正) 「希望の国」監督・園子温観てきた。年に1回観る事を自分に課したい。特に霞ヶ関や電事連におつとめの人達は毎月一回観て欲しい。 …といっても、原子力村の闇を暴くとか国の事故対応の瑕疵を糾弾する、という映画ではないんですよね。 「僕が記録したかったのは被災地の"情緒"や"情感"」     ~「希望の国」パンフレット、園子温監督インタヴューより 観ている間中、これは一体映画なんだろうか、現実なんだろうかとずっと動揺していた。いや、フィクションである事は頭では分かっている。キャスティングも素晴らしく、地元の人としか思えない風情ながら顔を知っている名優がたくさん出ている。しかし、それでもこれは映画なのか、と動揺してしまうような力があるのだ。フィクションなのに限りなく現実。登場人物の台詞にどきっとするたびに、同時に無数の現実の被災者の姿がはっきりと見える。家族が分断され人が傷つけ合いテレビが嘘をつくそのフィクション一つ一つに、これは本当に起こった事なんだと思い知らされる。 「なるべく想像力で書くことはやめて、取材した通りに(シーンや台詞を)入れようと思った」     ~園子温監督 映画を見終わって外に一歩踏み出したら、そこに見えるにぎやかな風景の方が現実感が無いような気さえした。 今の私は、劇中のテレビで放射能なんて気にせずド〜ンと…と言っていた主婦と変わらない、五十歩百歩だ。全ての登場人物の要素が、少しずつ自分にある。大丈夫と必死で言い聞かせるあの息子の、避難しない老人にぶち切れる若者の、いつしかマスクも手袋もしなくなって怖がる人をせせら笑う労働者の。そしてなにより、子供の被爆を死ぬほど心配して常に罪悪感を持っている母親の。 「『希望の国』は我々全員が当事者で我々全員が主人公の物語」     ~「希望の国」パンフレット、俳優 斉藤工のコメントより 従来の映画という枠で、客観的に鑑賞する以上の体験があった。美しい映画だ、素晴らしい作品だ、と感動して拍手して、さ、仕事仕事…というふうになかなかなれない。 最初に慟哭したのは夫婦の妊娠が確実と分かり2人が大喜びする所。とても幸せな場面である筈なのに2人が喜べば喜ぶほど涙が止まらなかった。過酷な現実を思うと。

絵を読む、文を観る

ずっとデザイン=機能のあるものを作っていたので、まったく機能のないものを描く事がまたもや新鮮で、絵を描くモチベーションになってきている。 イラスト仕事をさせてもらっていて、それはある作詞家の方の作品であることばに絵を添えるという事をやっているのだけど、ある時ふと、目の前の白紙に何も考えずに線を描いた。 ずっと具体的な人やものなどを描いてきたので、何の意味も無い抽象的なものを描こうとすると案外すっと描けない。 実際は大学で抽象画を学んでいたので手練で描けない事はないのだけど、大学時代と違って描く前になにか抵抗というか、引っかかりがある。 それは個人的なとても小さな変化で、紙に筆やペンを置く直前にほんの一瞬感じる心のひっかかりといったようなもので、説明するのは難しい。 長年デザインの世界でほそぼそと絵作りをしてきて、それは常に意味があったり機能があった。 そんな私が今、ふと描く「何も語らない、何の比喩でもない何か」は、アカデミックな場所で現代美術にかぶれて尊大になっていた当時の私が描く「何も語らない何か」とは全く違っている。それはとてもぎこちなく、でもとても存在感がある。 なにかこう、不思議だ! ところでことばに絵を添えるというのは本当に面白い作業だ。 言葉で説明できないなにかがあるのが絵といえるが、言葉の中には言葉しかないのではなく、言葉以上のもの、絵的なもの、イメージが立ち現れる。 悪い意味で言葉で言い換えられてしまう絵もある。 絵と言葉は、お互いが補完し合うのでなく、どちらもイメージと言葉、両方を孕んでいて、その呼応が更にそこに無いイメージや言葉を生み出す(ような結果を作り出したいがとてもとても難しい…)。 河出文藝選書「闇の中の黒い馬」埴谷雄高著の、イメージと言葉のありかたが私には面白くて、ぼんやりしてしまうときに読むとぴりっとする。 著者の言葉と駒井哲郎の手による挿絵が醸し出す絶妙な距離感がいいし、埴谷さん自身が自分が見た夢といったような言葉にするのが難しいものを、ねじ伏せるようにしつこく描写してこれでもかと言葉を連ねるのがまた面白いのだ。 夢という映像や絵を言葉で執拗に表していく。そんな文章に添えられた絵はそこに描かれた言葉に別の風景を投げかける。  (全部読んでないのでこの辺にしとこう。)

もうとっくにあけとりまんがな!

3月になっても紅白の話題が載り続けている、さすがにまずいと思いエア更新です。 今年もよろしくお願いします! 原発の事も、音楽の事も、シリアスな事も、面白かった事も、 分け隔てなく素直に書こうと思う所存です。