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身代わり

通販生活にこんな詩が載っている。 [原発を語るとき] 廃止論であろうと/再開論であろうと/原発を語るときは/心を福島に置いて語る習慣を/身につけよう 福島でつくられた原発電力は/東京で消費されたから/つまるところ/福島の子たちは/東京の子たちの身代わりになった/福島の親たちは/東京の親たちの身代わりになった/大阪で消費される原発電力はどの県でつくられているのだろう/ 〜中略〜 福島の子たちを棚に上げて/原発を語ることの/恥ずかしさよ (「通販生活」パッケージ表紙より引用) 通販生活は震災前も今も変わらず発言力を自覚して、ごまかさずに社会問題に対する意見を堂々と表現していて相変わらずすごいなあと思う。 上記の「詩(?)」は、感動したと言うコメントとともに2・3日前からtwitterに流れてきていてそれで知った。 私は全く逆の感想だった。あんまりにも心が鬱々としたので、自分なりに書いてまとめて多少なりとも気持ちを落ち着けようと思う。 これまで原発に無関心だった大人たちの、私たちの責任は重い。 しかし、「福島の子たちは東京の子たちの身代わり」という言葉は、 東京で子育てしている自分には到底受け入れられない。 福島の子が東京の子の身代わりという言葉は、 私の子が福島の子供を犠牲にして生きている、と言われるのと同じである。 福島の子ではなく、東京の子が被爆するのが当然だと言われるのと同じである。 少なくとも東京の親である私はそう受け取った。 どこに住んでいようと、どんな理由があろうと、被爆していい子供など一人もいない。 身代わりになっていい子供は一人もいないし、 誰かを身代わりにするという罪を子供にきせることは許されない。 福島の子供が被爆を余儀なくされていることを、 自己犠牲という「美談」に仕立てたくない。 今の福島の子供の状況は一刻も早く変えなければいけないことであって、 本来あってはならないことだ。 身代わりに「なった」などと過去形で、評価しまとめていいことではない。 そして「子供が子供の身代わり」という言葉は、 子供を必死で育てている親をひどく傷つけ打ちのめす言葉だ。 通販生活の詩は、原発について語り考える時は必ず福島のことを思え、という。

わたしのリンゴな思い出

7600/120が私の初めてのパソコン。ネットはまだダイヤルアップのモデム。 それはまだリンゴマークが虹色のころ。初めて就職した印刷会社のデザイン室で出会いました。DTPへの過渡期で、まだ紙の版下がほとんど、完全には移行できていませんでした。グラデーションもマックで作るけどデーターで入校というのはできなくて、版下の会社に発注してたんやもんな。 その会社にあったmacの中でもとりわけQuadra 700がお気に入りでした。スリットの入った筐体がかっこ良くて。数十名いる職場にマックは4〜5台だったと思う。今日はやばい、ってときは前もって予約したり。 処理能力が今と違って遅いから、プリント出すってなったら、コーヒー入れにいって休憩。ぐるぐる回る時計の針のカーソルもどんだけ回るかってぐらい。でもそれが普通でのんびりしてたなあ。アイコンやアラートの文章、なにもかもがかわいかったな。sad mac一度も見たことないのが残念なぐらい。フリーズすると出てくる爆弾マークとか当時は顔面蒼白になったけどOS漢字トークのUIはほんとに愛らしい表現でいっぱいでした。 それからすごい早さでDTP化が進んで、版下や製版フィルムなんかの概念がかわっていき、印刷工程ってもの自体が劇的な変化を遂げた。会社としても対応していくのは大変だったと思います。まさにAppleが世界を変えた、その一端を経験しました。 そのうち、会社を辞めることになり、思い切ってパソコンを買いました。 買うまでものすごい悩んで、スペック何度も確かめました。当時としてはメモリの拡張性が高い、ということで思い切った。35万円ぐらいしました。当時マックはパソコン界のポルシェって言われてたからなあ。 日本橋のソフマップへ、大金握りしめてこわごわ買いに。三菱モニターとキャノンのプリンター、当時は唯一A3ノビが出力できるカラープリンターをセットで買って締めて45万円ぐらいだったかな。 店員さんがカウンターで数えていた40数万円の映像は今でも昨日のことのように思い出せます。やめとこか、引き返すんなら今や、とんでもない買いもんしてるんちゃうか、という寒々しい気持ちとともに…。 そうして手に入れたのがpower mac 7600/120。今でも新しいマック買うとすごいわくわくするけどこの時は今の比じゃなかったな。会社でみん