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6月, 2006の投稿を表示しています

ブルー通り越して頭白なったわ

完膚なきまでに叩きのめされました。 あーあ。 最後は見てられへんかったな。 ピッチでなかなか起き上がれない中田選手を見てひたすら浮かんだのは、孤独、の2文字でした。 なんか、悔しさの幅までもが選手の間で合っていない、波長が同期していないというか、平たく言ってばらばらやなあ、と感じました。 一人一人はがんばっていたけど、やはり1+1=2ちょうどでは試合に勝てない。 1(個人の力)+1が3にも4にもならんとあかんし、そうするのがリーダーや監督の仕事やと思ったな。 ジーコはなんもしない、っていわれてて、采配もはてながつく部分は大いにあったけど、みんなで試合を作り上げていくような盛り上がりが選手たちの中にあったのかな、と思う。 ロナウジーニョのドキュメンタリーを以前見た。犬とドリブルしあう子供時代や、編み出した数々の華麗なプレーにも目を見張ったけど、とにかくサッカーを愛する気持ちが世界一の人やな、と感動して観た。 彼はよく楽しくなければサッカーじゃない、という。日本の選手もよく楽しみたい、という。 同じ言葉でもロナウジーニョは本当にサッカーの厳しさもつらさも面白さも全部ひっくるめて楽しんでいて 「楽」しているわけではないと思う。日本の選手の「楽」とはレベルが違うような気がする。その差はサッカーをどれだけ本気で好きかという差のように思う。ギャラがただでもパープルサンガへ行くような選手、東南アジアの危険な地域にサッカーをしに行くような選手…それほどサッカーが好きで好きで…という選手の姿が今の代表の中果たしているのかな、と思ってしまった。 普段はJリーグをろくに見ていないので言う資格ないんですが…。 現実的になって、実質出場2回目といえる本大会でやっと得た2敗1分という成績をどう受け止めるのか、逆に面白くなってきたとも言えるし、代表にはこれからも注目してしまうと思います。とくに中田選手は一部では引退もささやかれていますが、これで気持ちが切れるのか、それとも何が足りなかったのかを自ら学び、進化していくのか、も気になります。どんなに弱くても、ヘタレでもまた代表を応援したいと思う私です。 あとやはり最後にどうしてもいいたいこと… サムライブルーって言うキャッチフレーズ、ほんま、だれや、このコピー考えたん! 言語感覚おかしすぎ!

満タンポスト

なんかひどく蒸す。 大雨が降るか、地震が来るような気がする。 今日は昼まで寝てそれからぼちぼち仕事。 ちょっとあるこだわりから悩んでた仕事を、なやむのやめてやっつけた。 あーすっきりした。 「反社会学の不埒な研究報告/パオロ・マッツァリーノ」によると、 こだわりという言葉は昔は「くよくよする(考えてもしょうがないことをいつまでも考える)」と同義語だったのに、ある時期から「うまいそばにこだわる」「大人のこだわり」みたいないい意味に使われだしたんだって。雑誌とかコピーライターとかによる動きが大きいらしい。なるほどなあ。 ポストを2日ぶりにのぞいたら満タンだったのでわっ!と声が出た。 無料カタログ、アマゾンで買った本(これは本当に到着が早すぎてびっくり)、おまけになんと某CSチャンネルの新刊プレゼントに当選したあげくの本、ほか数々のDM。 本があたったのは本当にびっくり。だって1年ぐらい前におんなじところで当選したし、そのお礼でお手紙を書いたのに、また当選したのだ。 だれも応募してへんねやろか…。

ねこさらい

近所のアパートから猫を抱きしめた年配の女性がゆっくり出てくるところに鉢合わせた。 「みつかったんですか!」と思わず見ず知らずのご婦人にむかって声をかけてしまった。 1ヶ月ほど前に「猫が行方不明」の手書きポスターを、そこで見たのが気になっていたのであーる。 ポスターの猫はそのアパート前の道でしょっちゅう寝そべっていた猫で、片目がなかった。いつ出会っても擦り寄ってくるので私ら夫婦は「ナツキ」と勝手に呼んでいた。 「この子はね、10日もいなくなっていたけど戻ってきました」ご婦人はふつうに答えてくれた。 そっから立ち話。10分は。 最近は動物実験用や三味線用に、猫をまとめてさらっていく人がいる、という。 「三味線なんかいまだにあるんですか?」 「この子は去勢したからね、使えなかったんですね、それで捨てられてたの。警察のところに。」 アパートからその警察署まではたぶん10キロは離れている。よくみつかったなあと頭をなでてやる。 人間二人が自分の話をしていることにすっかりご満悦のよう。頭をうしろへそらし腹を出してご婦人の腕に甘えている。 「あの子はこの子のおにいちゃん。こら、チー!おりてらっしゃい、チー!」 すぐ横の建物のひさしの上で、うでをのばしてなめなめ、別の猫がくつろいでいた。無視だ。 生きている猫をさらうなんてねえ、とご婦人は嘆くこと仕切り。怪しい人はみんな警察に言えばいいんですよ、わたしは車のナンバーとか全部メモしてる。1ぴきにつき100万、えさをあげるのを邪魔しても50万罰金なのよ。 ほんまかなあ、と思いながら最近そういや近所のノラも見なくなったなあと考えてたら、 チーがいつの間にか足元にいて「なんだよ呼んだから来たのによ」という顔でにゃーとないた。

ブルー

先週末は神戸まで行って友人の結婚式に参列してきました。 教会での本格的な式はとても感動的でした。 私も便乗晴れ舞台とばかりに美容院を予約し、いつもの1.5倍増量の髪型とバレエ習っていたころと同じぐらい濃い化粧をしてもらい、一ヶ月かけて決めたお洋服を身につけ、大騒ぎでございました。 また気が向いたら神戸の街を散策したことなんかも書きたいのですが、いかんせんあまりに早いw杯の幕切れにサムライいや町人ディープブルーとなってしまいなんもする気が起きないのです。 ほんま。 ほんまに。 3日目にしてようやくちょっとあきらめの境地に達してきました。 いろんな人の意見を聞いたり読んだり、冷蔵庫の横に過剰に貼られた勝ちT応募シールに自分の過剰な期待を発見して反省しました。 そう、期待しなければいいのです。現実を見つめればいいのです。日本は4年前からなんも進化してないのだと。ヨワヨワなんや、と。 いっそサッカーなんかに興味なくせばいいんです。どうせにわかです。 実際ぜんぜん興味のない人はほんと幸せそうです。 いや逆に超サッカーオタクになってありとあらゆる国のプレイヤーに興味を持ってワールドワイドな視点で楽しめばいいのですね。 はは。はははははは。 あーあ。がっくり。 昨日は朝までブラジル戦。クロアチア強いよ。ロナウジーニョはいっぺん生で観てから死にたいと思わせるプレーヤーですが、そんなブラジルでさえ苦戦しているように見えました。しかし言えることはとにかくミスが少ない、両チームとも。それにその前の韓国の戦いぶり、ひたすらまぶしくひたすらうらやましかった。…って結局サッカー見てるやん。余計にブルーになったけど。 一番悲しいのは日本のメンバーがひとつになっているように見えないこと。観念論ですが、所詮。 アジアカップのときのようなあの雰囲気、なりふりかまわず勝ちに行く姿勢を見せてほしい…、てまた期待してしまう。

ジジ

村上氏、インサイダー疑惑で逮捕か。ということで今、ご本人による記者会見が行われているけど、思わずテレビを消してしまう。もう顔見るのも声聞くのもいや。冒頭でこういう会見は最後です、といっていたので、それグッドニュース。 サッカー国際マッチ組、ドイツ戦とマルタ戦と両方見たけどこの違いはなんのちがい? ドイツ戦はのっけから目を見張るような変化が見て取れてびっくりしたけど…素人なんでようわからん。 秋田の事件、終結を見そうだが、マスコミのかなり前からの容疑者に対する執拗な取材ぶりが恐ろしかった。止めてください、帰ってください、と怒る女のぐるりを無言で取り囲む沢山のカメラと人。堰を切ったように女の粗ぶる様子を垂れ流すニュース。 地上波テレビの内容は本当に末期症状。デジタルで見る必要があるのだろうか…。こうなったら超アナログ放送、CGとか使わずフリップも全部手書きにして手作り感をだすことでヒューマンタッチなイメージアップってどう? 例の盗作事件、一番の問題は「国」があの人に賞をあげてしまったということ。文化庁の大失態。本人からの賞の返上意志をうけて、取り消すかどうか協議すると言うが、何を悠長なことを。建前でも見栄でも、まっさきに取り消すべきでは。この遅い対応でさらに恥の上塗り。世界中の日本芸術家に迷惑。庁のサイトには何の説明もない。もう著作権をうんぬんする資格すらない。 と、怒っていたら賞取り消しのニュース速報。私の書き込みの遅さもなかなかだ。

マジ:デザインとディレクション

他人が窓ガラスをワイパーで拭き掃除しているのを、ぼうっと眺めているとする。 ワイパーが通ったところはきれいに透き通り、まだこれからのところは曇っている。 だんだん曇っているところが少なくなってゆく。 そのうち、微妙に拭き取られていない中州のような曇り部分に目がいく。 いったん気がつくと、その中州が妙に気になり始める。いつ拭くか、ああ、近くを拭いた!と思ったらまた忘れてる、 という具合にちょっとそわそわしてくる。 拭き手の顔を見ると、自信満々に作業を続けているのでそのうち気がつくだろう、と腰を落ち着ける。 ところがどうしたことか、いつまでまってもそのわずかなエリアを拭こうとしない。 どうでもいいことなのに無性に気持ちが悪くなってつい声に出していってしまう。 「ここ、この部分、拭いてよ。」 私が拭いても誰が拭いても、結果的にガラスはきれいになる。 少し位中州が残っても、結果的に掃除は無事終わる。 誰の拭き方が正しくてまちがっているということはいえない。 微妙にデザインを直してほしいと言われたとき、いつもこのことが過る。 特にデザインが出来、デザイナーの仕事も兼ねているようなアートディレクターのもとで、自分がいちデザイナーとして仕事をする時、どうもうまく行かない。 そのデザイナーがデザインしても私がデザインしても結果的にはデザインは出来上がる。デザインに唯一の答え、というのはない。(といっても沢山答えが有り、誰でもピカソ、などと牧歌的なことを言っているのではない。) どちらがより正しいととは言えないレベルでしかない時、(レイアウトの細かい調整や抽象的な雰囲気の話など)もうその人が実際に手を動かさない限り接点を見いだすことができないような、迷路に陥ることがある。 不承不承言う通りにするしかないのだが、私はマウスのカーソルか、と思うこともある。 大本のコンセプトメイキングや方向性の導きではなく、オブジェクトのミリ単位の位置にばかり終始することをディレクションだと思う人は意外と多い。 逆に自分はアートディレクターの肩書きで働いたことがあるが、つくづく出来ていなかったと思う。 どうでしょうか、とデザイナーからデザインを見せられると、すぐこれもありだな、と思って「ウン、グー。」と認めてしまう。 そのデザインに意見があればいろいろとコメントするが、基本的にはそのデザイナーの考えや決め