最近のつれづれ

大都会東京の花の銀座のお店の人にむかって、
プラッチックですか?」って言ってしまった。
大阪でも使ったことないのにーーー。

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「バガボンド」19巻を間違って2回買ってしまったとき、私の中でなにかが終わった。

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「越境者・松田優作」松田美智子著、読了。呆然となる。あらためて彼の死が本当に惜しまれる。

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新銀行東京のことを考えるとほんとうにはらわたが煮えくりかえって寿命が縮まりそうだ。

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電気グルーブ「モノノケダンス」PVのラストに衝撃を受ける。
現代思想の人が小一時間語れるほどのオチだ。(たぶん)

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町山智浩さんによると、ジョージ・A・ロメロのゾンビシリーズは、60年代の第一作から今年公開される最新作に至るまで、常に、その時代時代におけるアメリカの社会問題のメタファーになっているそうだ。監督が実は非常に社会派な人で、自身がそう解説しているらしい。

たとえば'78年の「ドーン・オブ・ザ・デッド」は、その時代に発明され次々と生まれた大型ショッピングモールにより、消費文化にどっぷりつかって思考停止に陥ってしまった人々への警告だというのだ。

昔ながらの個人商店は仕事を奪われ、地域の人々はやること(仕事)がなくなる。地元の客も買い物をしながら交流することもないから静かになる。商店街はシャッターだらけの廃墟と化し、暇になった人々は休みになると目的もないのにただただモールをうろつく。その様子がゾンビの暗喩になっているらしい。モールに行けば衣食住のあらゆるモノがそろうので、人々は欲望の赴くまま、何も考えずにそこへ歩くのだ。
メジャー資本による大型商業施設は地方色をどんどんと消していき、その地元ならではのものは消え、町は均質化されていく。まるでじわじわと、ウィルスのように地方を侵食していく。やがてどこへいっても同じような風景がたちあらわれる。「ドーン・オブ・ザ・デッド」はそんな未来への警鐘だったらしい。

もちろん、こんな理屈を考えないで見たほうが面白いわけですが。

私は町山さんのポッドキャストを通してこの話を2回聞いたが、このお話自体が何度聞いても面白い。同時にとても耳が痛い。
そして、「再開発」により暖簾を下ろす老舗の商店と、それを高みから眺めるひとにぎりの勝者(葉巻、ブランデーグラス、黒猫付きのバスローブ姿のヤンエグ)、というベタな想像をしてしまうのです。

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古いカメラを修理することになって、いろいろあったが、最後に素晴らしい仕事をして救ってくれたのは、大手メーカーでも有名なカメラショップでもなく、北海道の個人の修理店だった。
その人とは少しだけ電話でお話ししたけれども、そのお人柄、愛情あるサービスに感激。
昨日買った地元の小さな和菓子店の桜餅もほんとうにおいしかったし、今実は小さな個人の靴のお店に私のベタ足に合う靴をお願いしている。
自分の仕事を愛し誇りを持って、その大小に関係なく誠実に努力されている人からは、すぐ何か伝わってくるものがあるから、客としても背筋が伸びるし、幸せを感じる(つまりその逆もありってこと)。
ゾンビもたまには自戒してしゃきしゃき歩きたいと思ったりする。

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そんな町山さんの記事を読みたくてうまれてはじめて月刊PLAY BOYを買ったら、ほかの記事もどれもおもしろくて驚いた。
「この人の書斎が見たい!」には心の師と勝手にあがめている内田樹さんの書斎もあった。
記事の文章もなかなかレベルが高くて読みごたえあり。もちろん裸もあります。

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東京も3月に入り俄然あたたかくなってきた。開花予想は3月27日ぐらいだって。

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