怒りとエネルギー

怒り。
一時期、感情的になる、ということは恥ずかしい、というのが自分のテーマになってしまい、もともと早口で攻撃的なしゃべり方だった20代、それを直そうと努力。だいぶゆっくりおっとり話せるようになった。そのぶん心も穏やかに落ち着きやすくなった。頭の回転はどんどん遅くなっていったみたいだけど。
そうして40も超えたけれど、時々どす黒い気持ちが爆発したり、自分でもびっくりするぐらい瞬間的に怒りが爆発して罵詈雑言をはいたりしてしまう。たとえば、国会中継とか見てる時に。
心が穏やかで落ち着きやすくなって、感情をコントロールできるようになった、と言うのは思い込みで、
怒りを押さえ込んでいるうちに、自然な怒り方を忘れてしまったみたい。

石原慎太郎が、瓦礫について文句を言う都民は「黙れ」と発言した。老都知事の発言には幾度となく腹を立ててきたが、今回だけは、今までと違う状態になった。すーっと冷めてしまったのだ。自分でもこの時の気持ちがうまく理解できなかった。
このことをツイートしたら友人が怒り続けるにはエネルギーがいると言うことですかね、と言ってくれた。なるほど、と思った。
私はいい加減あの老害に腹を立て疲れたのかもしれないと。

でももう一つ別の側面があるように思う。「黙れ」と言われた。公僕が都民に黙れ、と。絶対に言ってはいけない言葉だと私は思った。すーっとさめてしまったが、この冷たい感情は一種の覚醒した怒りだった。この時の怒りは、ただ荒々しく怒るのではなくて、そうですかそちらがそうなら、私も考えがあります(ほんとは何にもまとまってないけど)とでも言うように、肝が据わった感じだった。彼自身を本当に心の底から軽蔑し、見限った。期待も何も無い。だから怒りようが無い。

それからほどなくして「僕らの漫画」を読んだ。私はさそうあきらが大好きで、彼の作品目当てで真っ先に読んだ。何ともタイムリーなことに、テーマは「怒り」だった。「怒り」が文字通りエネルギーに変換される話。私は、自分の行き場も無く出方も分からなくなった「怒り」について考えた。

そして今日。これを聞いた。
私は最後泣いてしまった。正直号泣の部類。それはいろんなことが混じった涙。本当に大変なことになってしまったんだ、という強烈な悲しみと、原発事故を巻き起こしてもなお私利私欲に走る人達の存在への悔しくてたまらない気持ちと、子供たちを守れていない自分に対する激しい自責の念と。

単なる反原発派ソングということもできない。もっと直球。ポエトリーリーディング。ケレン味も洒落っ気もない、ひょっとしたら音「楽」でもない。右だ左だ、アンチだ推進派だ、とレッテルはっていがみ合っている時間ももったいない、それどころじゃないと彼らは歌っている。同じように、ただこれを反原発表明の歌だと片付けてしまいたくない。もっと自然に湧き出るべくして湧き出た怒りそのものだと思った。私も彼らのようにストレートに怒りたいのに、長年の性格矯正もどきで、いびつになってしまった。だからこの歌詞のなかの「アホンダラボケカス!」に解放されて、同時に自分自身が喝を入れられ叱られたように感じて、ごめんなさい、という気持ちが涙になってあふれた。

(歌詞を引用します。ぜひオリジナルを先にお聞きください。)

humanERROR 
by FRYING DUTCHMAN 

「末期的に気が狂ってるよ、こいつらは」

「反対派推進派に人々の心をお金で引き裂いてくマニュアルがあって」

「(原発の)何が大丈夫。はぁああああ?!お前の頭が大丈夫かよ!」

「原発によって社会全体に影響している負の連鎖なんて見えてきたら…
吐き気がしちゃうよ!まともな心を持っていればね」

「自分たちの悪事を隠す為に一体どれだけの人を犠牲にするんだよ。
ふざけんなばかやろう!」

「人の命をなんや思てんねんアホンダラボケカス!」

「日本は一大事なんだよ!揚げ足を取り合ってる場合じゃねぇんだよ!寝てる場合じゃねえんだよ!」

「みんなに黙ってるんだぜ?! 隠してるんだぜ?!」

「核兵器と金だよ。汚いカネカネカネ!」

「これ以上無関心でだまされ続けたら破滅するぞ!
電気が足りる足りないの問題じゃねえんだよ!
電気が無くても生きていけるけど、自然が無かったら生きていけないだろ!」

「子供が一番かわいそうだよ!俺たちの未来なんだぞ!?守ってやれなくてどうするんだよ!」

「だから馬鹿野郎って叫ぶんだ!馬鹿野郎!ばかやろう!」

原発絶対反対。

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