37年ぶりの再会




愛しいそいつは、いつもと同じふてぶてしさで、晴天の下両手を広げていました。

大阪万博1970年の思い出。
覚えているのはまず、くねくねオブジェの大きな串刺し風彫刻があったこと。
母になんども「あれはうんこ?それどもおでん?」と尋ねていた。
心の中で、おでんじゃないほうがいいな、と思いながら。
次に、逆光で影になったおじいちゃんの横顔のシルエット。真っ暗な中で、360度たくさんのテレビが一斉に動いているようなところで。恐ろしくて帰ろうと泣きながら訴えた思い出。
そしてエスカレータ。とにかくエスカレータにひたすらのっている思い出。ゴジラのような怪獣のそばを通り過ぎた。暗くて、いろんな変な音がしてて、やっぱり怖くてしょうがなかった。

3歳の時のこういう印象。まぼろしのような、思い込みのような、脳裏に焼きついた万博での映像。もういい大人になってから、ヤノベケンジさんの万博プロジェクトを皮切りに、最近の万博記録映画DVDなどで、あらためてこのまぼろしが現実として補完されていった。でもあの時から繰り返し信じてきた自分の実体験、実感のようなものを変えたくない気持ちもある。
数年前から太陽の塔の内覧ツアーのことは知っていて、いつか、と思いつつ、東京に移住したためなかなかかなわなかった。もう一度塔の中に実際に入って実感できるチャンス。今年を逃すとしばらく見られないと言うのを聞き、思い切って予約した。

見学当日。晴天。風、強し。
内覧証をツアーコンダクターの方にいただき、塔へと赴く。
当時の地下展示室から続く本来の入り口が埋められているので、今回は塔の根元のドアからはいる。
ひんやりした内部に一番乗りで入る。頭上には真っ暗の中、水牛の角のような蛍光色の「枝」が浮かび上がっている。岡本太郎の絵そのものだ。お客さんが全員入ったところで入り口が閉められ、ふっと灯りがついた。
おお…とため息と歓声があがる。いろいろな飾りがすでに取られてしまっていて寂しくなった生命の木が見える。当時のぎらぎらした、怖いようなエネルギーを必死で重ね合わせる。
ガイドの人が当時のこと、太陽の塔(日本館)の規模などについて慣れた調子で説明してくれた。あらためてその荒唐無稽さに驚く。現在は塔の上まで上れないと知った時はなぜ?と思っていたが、説明を聞いて納得。かなりの広さの地下展通路が埋められ、塔の腕の出口もふさがれているのではしょうがない。
平成に入って外壁を塗りなおしただけで数億円かかったそうだ。維持だけでも相当大変だと言うことを知った。

見学の一環として、DVDによる映像が放映されたが、貧乏性の私はモニターは見ず、最後の塔の中を目に焼き付けようとずっと上を見たり、つもりに積もったホコリを凝視していた。たくさんの人が上った、自分も3つのころにのぼったにちがいない真っ赤な階段をじっと見た。当時のまま残っている「生命の誕生…」というような説明プレートを、命の炎を模したという甍の波のような赤い飾りを、これでもかと見た。

こうして20分あまりの見学が終わった。名残惜しく外へ出たが、夫が「触れるよ、案外つるつるしてるよ!」と後ろ頭で叫んだ。もういちど出口まで戻るという失礼をして、ジャンプして塔本体に触れた。

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