わたしのリンゴな思い出

7600/120が私の初めてのパソコン。ネットはまだダイヤルアップのモデム。

それはまだリンゴマークが虹色のころ。初めて就職した印刷会社のデザイン室で出会いました。DTPへの過渡期で、まだ紙の版下がほとんど、完全には移行できていませんでした。グラデーションもマックで作るけどデーターで入校というのはできなくて、版下の会社に発注してたんやもんな。
その会社にあったmacの中でもとりわけQuadra 700がお気に入りでした。スリットの入った筐体がかっこ良くて。数十名いる職場にマックは4〜5台だったと思う。今日はやばい、ってときは前もって予約したり。
処理能力が今と違って遅いから、プリント出すってなったら、コーヒー入れにいって休憩。ぐるぐる回る時計の針のカーソルもどんだけ回るかってぐらい。でもそれが普通でのんびりしてたなあ。アイコンやアラートの文章、なにもかもがかわいかったな。sad mac一度も見たことないのが残念なぐらい。フリーズすると出てくる爆弾マークとか当時は顔面蒼白になったけどOS漢字トークのUIはほんとに愛らしい表現でいっぱいでした。

それからすごい早さでDTP化が進んで、版下や製版フィルムなんかの概念がかわっていき、印刷工程ってもの自体が劇的な変化を遂げた。会社としても対応していくのは大変だったと思います。まさにAppleが世界を変えた、その一端を経験しました。
そのうち、会社を辞めることになり、思い切ってパソコンを買いました。
買うまでものすごい悩んで、スペック何度も確かめました。当時としてはメモリの拡張性が高い、ということで思い切った。35万円ぐらいしました。当時マックはパソコン界のポルシェって言われてたからなあ。

日本橋のソフマップへ、大金握りしめてこわごわ買いに。三菱モニターとキャノンのプリンター、当時は唯一A3ノビが出力できるカラープリンターをセットで買って締めて45万円ぐらいだったかな。
店員さんがカウンターで数えていた40数万円の映像は今でも昨日のことのように思い出せます。やめとこか、引き返すんなら今や、とんでもない買いもんしてるんちゃうか、という寒々しい気持ちとともに…。

そうして手に入れたのがpower mac 7600/120。今でも新しいマック買うとすごいわくわくするけどこの時は今の比じゃなかったな。会社でみんなでつかうマシンじゃなくて、初めての、自分のマシン。これがいいんですよね。 車好きのひとがマイカー買うときにきっと似てるね。
インストールもメンテナンスもぜんぶ自分でする、これが意外と性に合いました。本もいっぱい買ったし、問題が出てくると困りながらも解決するのが楽しい、そんなオタク(というには甘っちょろいですが)への道を歩む日々でした。

それから世はインターネットの嵐が吹き荒れ、ITバブル、私もその波にのり、というかちょっとぶら下がって東京で就職し、独立し、現在に至る。
それまで何台のマックとつきあってきたかなあ。

windowsが席巻していたころは、Appleの業績も落ち込み、パソコンが売れてないらしいなんで噂を聞くと、さびしかったり、ほとんど信者でした。
しかし、リンゴが虹色からモノトーンになった時は胸がざわつきました。初代imacを初めて見た時、本当にびっくりしたと同時に、今までの渋いマックを知っている自分としてはAppleどうなんの?って不安に思ったことも事実。でもジョブズの復活で明らかにAppleが変わるという雰囲気がびりびり伝わってきましたね。

今になってみればAppleは初代imacを契機に、まだ見ぬiphoneを目標にして突っ走ってきたんだな、と思えます。
macといえば専門職のデザイナーや一部のマニアしか熱狂してこなかったという世界から、サラリーマンや主婦や子供という普通の人々がリンゴマークを日常の中で自然に手にする世界。アップルの人たち、とりわけジョブズはずっとブレずにその世界へのビジョンを持ち続けてきたんだろうなと。そして間違いなく実現した。

まあでもとにかく今一番言いたいのは寂しいってこと。
スティーブ・ジョブズ様。ありがとうございました。なかなか世界を変えるほどのクレイジーさを持てませんが、努力します、少しでも。ご冥福をお祈りいたします。

※おまけ
http://mactracker.ca/
歴代マックのスペックが分かる。起動音も!(パソコンにインストールするアプリです)

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