なんで坊や

友達が、3歳の息子さんをつれて、遊びに来てくれた。
さまざまなベビー用品を譲らんと、はるばる自家用車で来てくれたのだ。
大感謝しつつ、お昼ごはんを作って迎えた。正確には作ってる間待ってもらったんだけど。

その3歳のぼくちんは最初はひとみしりしてたけどそのうち本領発揮しだした。
私とママさんがしゃべりこんでいたら、間に入って奇声を発し、「おしゃべりやめええええ!」と号令。
自分が阻害されていると思うのか、嫉妬からなのか。
あのね、大人同士のお話もあるんです。とママさんがこんこん言い聞かせている。

そんなこんなで、私にも慣れてくれていろいろおしゃべりする。
そうすると、ことあるごとに、「なんで!」と聞いてくる。
「なんで病なんだよ、今」とママさんは苦笑する。でも私は心に決めた。全部答えると。
絶対負けないと。

ぼくちん「このDVDこわい?」私「こわくないよ!」ボク「なんで!?」
これはね、この人がお姫様で、矢を持っている人が正義の味方で、黒いひげの人が悪い悪いやつで、
最後やっつけられるから。すごいかっこいいよ(悪役のほうが)。…映画「ロビンフット」の説明。

「じゃあこれこわい?」「うわ~。それこわいよ!見ないほうがいいよ絶対!」「なんで!」
だって顔がこんなこんなで(と形態模写)、こんなぐちゃぐちゃなお化けが出てくるんだよ(ホントはおもしろいんだけど)
…ゾンビ映画の説明。

といった調子だ。
(彼はとにかく映画のDVDのジャケットに夢中なのだ。テレビで流れている映画の予告編も、よく覚えていて驚いた。)

それがのべ30分は続いたのではないだろうか。
口の中が渇いてきて上唇が前歯に引っかかる頃、漠然と思った。
彼は本当に答えが聞きたいわけじゃないのかもな、と。
それが証拠に、私が答えてもそれ以上突っ込まないし、あんまり聞いてないようにも見える。それよりも、もう次の「なんで」発射を準備しているかのようなのだ。

以前、内田樹氏のブログでこんなことを読んだ。小津安二郎の映画のなかの夫婦の会話が素材だったと思う。その会話の内容それ自体のたわいなさを例にあげて、人は時に、ただ相手とやりとりをしたい、コミュニケーションしているという実感を得たいから会話をするのだ、というようなことを。たとえばその時の会話はえんえん天気がいいですね、そうですね、の繰り返し。
議論とはちがって内容はどうでもよくて、ただ楽器に楽器が音でこたえるみたいなやり取り。

「なんで」坊やも、私に本当に質問してその答えが知りたいのではなく、なんで?、と尋ねると、なにかを長々いい大人が、自分に向ってしゃべってくれる、その声のやりとりが気持ちいいのではないかな、ということ。
内容なんてべつに意味が分からなくてもどうでもよくて、ただ人と会話している、その感触を楽しんでいるように思えてくる。

そういうことを思いつつも、そこにあったほとんど全部のDVDの説明を前歯がむき出しになるまで答え続けたのだった。

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