Black Box Diaries

伊藤詩織監督「Black Box Diaries 」が東京品川区で封切られ、日々満席状態となり、もう直ぐ全国的に封切られることになるようだ。

私は日本上映が決まったと知ってとても嬉しく、早く見たいと思っているが、ここへきて、今までと違う層からの伊藤氏への批判や攻撃が増している。

映画を見ていないので何も言うまいと思っていたが、今の騒動はほとんど映画を見る前の人たちがやっていることだった。伊藤氏自身を批判(というよりほとんど攻撃)するだけに飽き足らず、見ていない映画の価値をも勝手に判断しているので、じゃあ、とばかり考えをまとめたくなってきて緊急で動画を回さずタイピングしている。


FCCJ 元代理人の会見

私はことの発端はやはり、今年2月のFCCJでの元代理人たちの会見だと思う。これ以降、「伊藤氏の人権侵害」がどんどん既成事実化された。同時に東京新聞の望月氏の明らかな誤報も攻撃材料となり、映画は公開する前から「見なくて良い」などと揶揄され、今や山口の犯罪の有無を疑うところまで後退している。

伊藤氏を攻撃する人々は、古くは反知性のネトウヨイラストレーターなど、安倍晋三シンパだった。しかしようやく映画が完成し日本で興行されることになった今、当時のネトウヨや安倍シンパではないところから熾烈なバッシングを伊藤氏は受けている。いわゆるリベラルなコラムニストやインフルエンサー、弱い立場の女性のための居場所づくりをしてきた活動家、女性新聞記者、いずれも加害者である山口敬之を庇護してきた安倍政権を批判してきたような人たちだ。しかも女性が多い。

山口は刑事事件にこそならなかったが民事では完全にその犯罪を認められ、賠償金を支払うよう命じられている。山口の性暴力は周知の事実なのだ。それを否定するのは安倍政権シンパのネトウヨだけだったが、流石に山口の性加害事態を否定する声は聞こえなくなっていた。

ところが2025年になって伊藤氏への批判が意外な人たちから湧き起こり、山口を擁護し伊藤氏を誹謗中傷する層が息を吹き返してしまっているのが現在地なのである。

なぜリベラルと言われるような、人権侵害や女性差別を見つめてきたような人たちがそんなふうになってしまったのか。

原因は今年2月のFCCJでの元代理人たちによる会見であるとしか思えない。

あのFCCJでの元代理人たちの会見で「伊藤氏が人権侵害をした」ということが、SNSの性質から猛スピードで既成事実化されてしまったのだと思う。伊藤氏自身が反論するより先に。

ひとつには、SNSで病のように広がった「正義の側に立って発言しなければいけない」という強迫観念も関連していると思う。どちらの言い分も公平に聞く前に断罪が早まるのは、一刻も早く正義側に立つことを表明しないと、そう言うポストをしないといけない、そんなふうにフォロワーが多いアカウントは走ってしまうからではないだろうか。それがXなどの場であると同時多発的に起こり、ものすごいスピードで広がってしまう。その結果、いわゆるキャンセルカルチャーの様相で、責めがたった一人の人に降り注いでしまう。

FCCJでの元代理人は、時に涙をながし、感情たっぷりにいかに自分が傷ついたか、どれだけ辛かったかを感傷的に訴えていた。それは記者会見を1からきちんと見ないで部分的にSNSで見て内容を判断するときにとてもわかりやすい様相だったと思う。すなわち被害者が泣いていて加害者は伊藤氏だ、と。あれだけ泣いているのだから人権侵害があったのだ、と。

この元代理人による記者会見が伊藤氏にとって大変な精神的圧迫だったとは想像に難くない。予定されていた同会見への出席はドクターストップがかかったと発表されていた。その不在すら、なぜ出ないのか出られるはずだ、というふうに責められる材料となっていった。

その後すぐさま望月氏が配信番組で「伊藤氏ドタキャン」と仰々しいデザインでサムネールにしているのを見て私は心底驚いたと同時にこんな人だったのかとかなり衝撃を受けた。

前後して、東京新聞で望月氏が放ったこの記者会見に関する記事は、のちに謝罪と訂正がされたが大変問題がある内容で、一方的に元代理人の言い分を評価し伊藤氏を貶めるものだった。

かように元代理人の涙の訴えに呼応したリベラルな人たちの正義感と、望月氏のおっちょこちょいな論調が、今の伊藤氏への人格攻撃に成長していったことは明らかだと思う。


では本当にBBDをみるな、と言われるほど、伊藤氏に落ち度があったのか?


私はそうは思わない。

私はあの会見を見て、疑問しか湧かなかった。何が言いたいのか。何がしたいのか。そもそも元とはいえ、こんな会見を代理人はして良いのか。本当に伊藤氏が盗聴し、勝手に許諾なく映像を流し、人権侵害をしたのか?それは本当なのか?

理由は、会見が感情論に終始し、法的根拠に基づいた被害の訴えがなかったこと。

他者の「尊厳」や「許諾」を代弁して被害を訴えていたが、その他者たちは実際には被害を訴えてなかったし、元代理人に提訴してくれと依頼したわけでもなかったこと。

言葉を極めて伊藤氏を罵ったこと。

映画の上映を止めたいわけではないなどといった、目的の曖昧さ。


そもそも代理人であれば、たとえ伊藤氏に問題があってもクライアントである伊藤氏を弁護し、被害を訴えてきた人に対応するのが筋ではないのかと。

映画の上映を阻止したいわけではないというのも、それであればこの会見は感情的な気持ちの吐露でしかない。これを他でもない弁護士から聞いても困惑しかない。

法理の話ではなく感情的になって伊藤氏を表現する(悪く言う)話ばかりだった。

会見後半の質疑応答で出た記者たちの質問は私の疑問と同じものだったので少し安堵した。

この会見の後、伊藤氏が反論できないうちからどんどんBBDに人権侵害あったかのような言説がSNSで広まり、伊藤氏が他者の権利を搾取して映画を作ったかのように喧伝され、大好きだったあのアカウントの人も、フォローしていたあのコラムニストも、多くの女性がBBDではなく伊藤氏自身をを批判した(おそらく映画は多くがみられていない状況で)。

私ですらこれだけ愕然とするのだから伊藤氏の心中察するにあまりある。


ジャーナリストとして映像を取るべきだったのは誰か

伊藤氏は第三者の事件を調査報道しドキュメンタリーを取ったわけではない。自分自身が被害者で、理不尽に処理された事件を主題にして映画を撮った。撮ることでしか回復できない傷があったのだ。

性被害に遭った人が自分の被害を見つめ直すことじたいが、どれほど残酷で命を削るような作業か、想像できるだろうか。

客観視ができないことが映画の質に影響するという評論は成り立つだろう。

しかし伊藤氏が映画を撮らざるを得なかった理由、それは一つには、日本のジャーナリズムが一向に、この事件を正面から扱わなかったからではないか?

頑張っていた報道関係者もいたかもしれない。だが実際には厳然たる権力者の庇護によって加害者が逃げおおせたのではないか。

推定無罪の原則も何もあったものではない。逮捕状が出たのだから逮捕され、取り調べを受け、その上で不起訴になった場合ならまだしも、逮捕状が出ておらず疑惑だけで終わったならまだしも、安倍政権下の権力構造の中で出た逮捕状が意味不明に握りつぶされた話だ。

一般論では済まされない特異な、異常な話なのだ。

「BlackBox」を読めば伊藤氏の戦いがどれだけ壮絶で過酷だったかよくわかる。しかも日本に住む女性にとっては特に。女性の身体だからこそ受ける差別的な暴力の恐怖、それが起こってしまった時の強烈なダメージ、家族にすらわかってもらえない絶望、警察に駆け付けても二次加害を受け、SNSの時代には誹謗中傷の攻撃がやまない、そんな社会に対して闘っていくことがどれだけ大変かわかるはずだ。

四面楚歌の中、本を上梓し、映画を撮ることを伊藤氏は選んだが、もし他の日本のジャーナリストが丹念に調査報道をし、この事件を映像に残していたら伊藤氏の闘いを勇気づけ氏の苦痛を和らげたのではないか。

BBCがドキュメンタリーを制作したが、伊藤氏の自作映画に関する言葉「この映画は日本へのラブレター」の意味を想う。

そして、そんななかでも、代理人というのは少なくとも、たとえ伊藤氏に法的な瑕疵があっても、最大限弁護し守ってくれる存在ではなかったのか。

映画に問題があれば、それが最小限に抑えられ、興行に響かないように知恵を絞ってくれる存在ではないのか。

元代理人からのあの記者会見は一時は徹底的なダメージを伊藤氏に与えただろう。


見にくよ。

さて、その後、伊藤氏の謝罪や修正を経て、映画BBDはようやく日本で公開となった。

来日した伊藤氏は、英語のみの記者会見での態度や表情でまたバッシングされている。

もう絶望的な文化の国やなと思う。

日本語で記者会見したくなくなるのもわかる。FCCJだからというのもあるが、日本にいたら針の筵なので、日本人記者に自由に質問されたらどれだけ傷つくかわからないと恐怖してもおかしくない。

しかし、そもそも。山口が伊藤氏を前後不覚にして強姦しなかったら、伊藤さんはBBDを書く必要も撮る必要も、英語で記者会見してwowというつぶやきをあげつらわれることもなかったのだ。

そこをなぜ、そこをなぜ、そこをなぜ、忘れるのか。

私は映画BBDが日本で上映されることになり、この度全国的な封切りが決まったことを心からお祝いしたいと思う。この映画を見ない選択肢はない。

伊藤氏が映画で何を語ろうとするかをじっくり確かめながら見たい。

見たらまた感想を書こう。

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